fc2ブログ
2011/02/23

恐いもの無し

なんて時期
私にはなかったわ。


物心付いた時からcinema.jpg
恐くて恐くて
あらゆるモノが恐くて
特にやっぱり人間関係。

ヒトは恐かった。
それ故臆病になり
意地悪され除け者になり
もっともっと恐くなった。

好奇心は旺盛なので
恐怖が勝るのが悔しい。

重鬱も圧し掛かるし。
最期の時までどれくらい
冒険が出来るだろう。

去年は少し頑張ったけど
あっぷあっぷの毎日
自分を諦めずにいけるか。



       クリック応援お願いします→ランキング参加しています★

        こちらも応援クリック→ブログランキングへブログランキングお願いします♪

にほんブログ村 トラコミュ 日記・ひとり言 なんでも話題へ
日記・ひとり言 なんでも話題

コメント

非公開コメント

最初に渋谷のスクランブル交差点に行ったとき、あまりの人の多さに「この中には、眉ひとつ動かさずに平気で人殺しできる人間もいるのだろうな」と、直感的に頭をかすめた憶えがあります

一昨年亡くなった友人に、そういう人がいました。

彼が言うには、全ての物が恐く、全ての人が怖ろしかったのだそうです。

普段の生活ぶりも、かぎりなく「ヒッキー」に近くて、食事は一日一回、シーチキンの缶詰一個とご飯一膳。

終日のほぼ大半の時間を壁に向かって過ごし、傍らにワンカップの日本酒を置き、グビグビやりながら、煙草をひっきりなしにふかしつつ念仏を称えるといった具合で、ひとことで言うなら、極めつきの「奇人」でした。

その彼が医師から告げられた病名が、そのものズバリ「恐怖症」でした。

幼稚園のときからイジメに遭い、しかもイジメてきた相手が女の子だったのだそうです。

彼の回想によると、イジメる側の一番中心の輪にいたのが、牧師の娘だったそうです。

女児にイジメられる男子児童。

このイジメの構図は、小中学校に進んでも、基本的に変わらなかったといいます。

これが相当なトラウマになり、以後「ひ弱な自分」という囚われから、彼自身、終生解き放たれることはありませんでした。

亡くなった時も、その最期を看取ったのは、数日前から自宅に泊めてあげてたホームレスでした。

いまも、彼の無念を想うと胸が痛みます。

イジメのない世の中、差別のない世界、お互いの違い、異なる部分を許容し、なおかつ認められる社会が実現することを心から希求します。

最後に、同胞に対するイジメやシカトは「魂の殺人」です。

ご友人の

遠愁さん、お気持ちが解りますよ。
勿論全部とは云えませんが。

「ひ弱な自分」
長い事感じておりました。
自分を責め人が恐くて仕方ありませんでした。

しかし私の場合は親を看護し始めた頃から
少しずつそしてちょっとだけ変れました。

彼の魂が安住の地におります事を祈ります。