恐いもの無し
なんて時期
私にはなかったわ。
物心付いた時から
恐くて恐くて
あらゆるモノが恐くて
特にやっぱり人間関係。
ヒトは恐かった。
それ故臆病になり
意地悪され除け者になり
もっともっと恐くなった。
好奇心は旺盛なので
恐怖が勝るのが悔しい。
重鬱も圧し掛かるし。
最期の時までどれくらい
冒険が出来るだろう。
去年は少し頑張ったけど
あっぷあっぷの毎日
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それ故臆病になり
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好奇心は旺盛なので
恐怖が勝るのが悔しい。
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コメント
最初に渋谷のスクランブル交差点に行ったとき、あまりの人の多さに「この中には、眉ひとつ動かさずに平気で人殺しできる人間もいるのだろうな」と、直感的に頭をかすめた憶えがあります
彼が言うには、全ての物が恐く、全ての人が怖ろしかったのだそうです。
普段の生活ぶりも、かぎりなく「ヒッキー」に近くて、食事は一日一回、シーチキンの缶詰一個とご飯一膳。
終日のほぼ大半の時間を壁に向かって過ごし、傍らにワンカップの日本酒を置き、グビグビやりながら、煙草をひっきりなしにふかしつつ念仏を称えるといった具合で、ひとことで言うなら、極めつきの「奇人」でした。
その彼が医師から告げられた病名が、そのものズバリ「恐怖症」でした。
幼稚園のときからイジメに遭い、しかもイジメてきた相手が女の子だったのだそうです。
彼の回想によると、イジメる側の一番中心の輪にいたのが、牧師の娘だったそうです。
女児にイジメられる男子児童。
このイジメの構図は、小中学校に進んでも、基本的に変わらなかったといいます。
これが相当なトラウマになり、以後「ひ弱な自分」という囚われから、彼自身、終生解き放たれることはありませんでした。
亡くなった時も、その最期を看取ったのは、数日前から自宅に泊めてあげてたホームレスでした。
いまも、彼の無念を想うと胸が痛みます。
イジメのない世の中、差別のない世界、お互いの違い、異なる部分を許容し、なおかつ認められる社会が実現することを心から希求します。
最後に、同胞に対するイジメやシカトは「魂の殺人」です。
2011-02-25 01:15 明弘庵遠愁(みょうこうあんえんしゅう) URL 編集
ご友人の
勿論全部とは云えませんが。
「ひ弱な自分」
長い事感じておりました。
自分を責め人が恐くて仕方ありませんでした。
しかし私の場合は親を看護し始めた頃から
少しずつそしてちょっとだけ変れました。
彼の魂が安住の地におります事を祈ります。
2011-02-25 22:44 hilow URL 編集